改めてラスティとの友情・1

 オルトゥスと共に受けた傷を癒していたラスティの病室に、一人の旧世代型強化人間が訪れた。
 ラスティはその強化人間を知っていた。堕とされた時の自分が知らなかったことも含めて。

 ラスティ自身も相応の損傷を受け、半身は形状固定用の包帯で覆われているといえど、左目はバイオファブリケーションで作成された眼球を入れるための形状回復を待っているに過ぎず、他の左半身の骨折については言わんともがな。固定の必要から見た目こそ大袈裟だが、即座に医療機関での処置を受ければ原状復帰は容易なもの。
 一方、電動車椅子に乗った旧世代型強化人間。その壊死した趾は切り落とされ、歩行もままならなくなった体は何本もの管とセンサに繋がる事でようやく生かされている。
 それでも――オキーフが見せてくれた、再教育にあたっての独立傭兵レイヴンの検分資料にあったものと比べると――毛髪は整えられ、顔には健康的に見えるよう薄化粧が施され、炎症で一部が崩れた四肢に対しても包帯による丁寧な圧迫が――皮膚に刻まれたものが、誰にも見えないようにするためにも――されているなど、医療スタッフから出来る限りの労わりが与えられていることも見て取れた。けれど。
「……すまなかった。背景を持たなかった君を危険視して、殺そうとしてしまって」

 幼少期よりラスティの中には怒りがあった。ルビコニアンは封鎖機構の手により他星との交流が断たれるのみならず、不法滞在者という誹りすら受けるという理不尽への怒りが。自分でも正しいと信じられる怒りが。
 その正しさを貫く手段として戦場に出ると、生存欲求すら同じ人間に否定されるという理不尽があった。V.Ⅳとなってルビコニアンの敵を装った時は、同胞たる解放戦線から銃口を向けられ、同胞に怒りを、殺意を覚える時があった。
 人間性の否定の応酬により人間憎悪の扉が常に開いている戦場。そこで「直ぐに死ねない身」として身を置く以上、狂気に陥らないための背景が必要だとラスティは己に課していた。だからレイヴンに背景を求めた正しさを疑わなかった。
 今になってラスティは、黄昏に見舞ってきたオキーフが「第8世代強化人間となってなお、呼吸器の弱い自分が敢えて」吸っていた煙草を分けてくれなかった理由を理解した。ブルーモーメントが差し込む病室に残る副流煙すらレイヴンの害になるのではという懸念はもちろん、いつ脳閉塞で死んでもおかしくない体を懸命に生かしている戦友を、自己嫌悪からの自傷行為を行っても命に障りのない体で前にするのは酷だと。

「いや……叱って……れ……た……事に……感謝して……る」
 旧世代型強化人間は謝罪について否定の意を表したかった。出来事については戦闘モード時ものしか長期記憶に残せないという記憶障害を盾に「依頼受諾した誰かに責任を押し付けて、何も考えず殺すだけで良い自分」に逃げていた私に、君は戦う理由について考える事を教えてくれた。だから私は結果に責任を持つ――「自分にとって望ましい結果を齎す」戦いを選ぶ事ができた。この礼を言いたかった。
「再……手術で、私……が……いなくなる……、前に……これだけ……は……言いたか……た」
 それでも君とも同一だろう「人とコーラルが共に生きるルビコン」を願う意志だけは守り抜いてみせる。どうしても伝えたかったこれらを口にしたところで、長時間の会話すら難しい体はここで意識を飛ばしてしまう。
 2人で話をしたいという意を汲み、ラスティの病室の前で様子を伺っていた看護師らによってレイヴンが自身の病室――集中治療室に戻されるのを見送った後、ラスティはひっそりと泣いた。

 ……資料によると、レイヴンの記憶障害が回復したところでラスティに、ルビコニアンに感謝する道理はない。逆ですらあると言える。
 再教育センターでは「記憶障害ゆえに理由が分からずとも、レイヴンにルビコニアンへの復讐心さえ植え付けられればよい」として、解放戦線の捕虜にレイヴンへの残虐行為を命じた事が幾度となくあったという。レイヴンは抑うつ状態から、あるいはそれを装う事で残虐行為への加担を避け続けたというのに。
 「レイヴンの手によって」再教育センターから解放された解放戦線の同志は、残虐行為加担者の正常な反応としての自責の念が表出しているとも聞いたが、「普通の人間とはかけ離れた容姿である」「ストライダーや壁の事で恨みがある」レイヴンへの加虐に正当性と高揚感を覚え、アーキバスへの同胞意識さえ芽生えていたのも事実だという。
 退院後はそんな彼らに対し理性的に接しろとオキーフが告げた相手はラスティだったが、オキーフに言われずともそうするしかできないとラスティは思う。友の――Cパルス変異波形のためとはいえ、「ルビコンにいる人間も守る」と戦友に告げられては。もう逢えないかもしれない戦友に告げられては。


「ラスティ、君の戦友は君に怯えていたよ」
 整備士も引き上げた深夜の格納庫に、スティールヘイズを見上げる若者がいた。
 タートルネックセーターとダブルジャケットに身を包み、細身で凹凸の少ない体ながらも、生殖器系の再建によりようやく性差が現れてきたその若者について外見上は「健康な、普通の若者」と評しても差し支えないだろう。
「思えば出遭う前から怯えていたな。損害を避けるために崖沿いを進軍し、最低限の敵を撃破して壁の内部に侵入した独立傭兵とペースを合わせられるという、部下を率いて侵攻しているヴェスパーの第4隊長。当時は通信内容の違和感としか認識できなかったが」
 その若者はカウンセリングで培われた感情の識別および言語化能力も持つ。それ故にウォルターの猟犬の感情を代弁出来ることは僅かな救いだった。
「君と組んでいた間はジャガーノートへ一方的な戦闘が出来ていたのに、一人になると後ろを取るのも一苦労で……本当に、時間をかけてようやくだった。あの時はウォルターに進言してV.Ⅳの戦果を確認してから帰投したが、『スティールヘイズ単機によって残骸となったジャガーノート』を見た時は、君こそが私にとっての恐怖だと、死そのものだと思ったよ」
 若者の――レイヴンと呼ばれる独立傭兵の隣に立つラスティは「戦友」について述べる言葉を黙って聞いていた。そこに対面を待ちわびていた時の笑みはない。
「旧宇宙港襲撃の君との共闘では、君を支援しつつHCを片付けて2対1に持ち込もうなどと考えていたが、逆にLCを担当する君の方がプラズマミサイルで私を支援する始末だった。そしてアイスワーム撃破でも……。ウォッチポイントアルファで君がレッドガン部隊を相手取ると聞いても、君が負ける可能性に思い至る事はなく、深度3では『ついにその時がきたか』という諦観がこそがあった。そしてスティールヘイズを迎撃した時に残ったのは、死を迎撃しても何も変わらないという真実だった」

 嘗ては畏怖という情緒的反応を引き起こしたACのフレーム。それが今では「情緒面の」解像度の向上により整備士の手入れ具合まで見えるようになりつつも、ただのACフレームにしか見えなくなった事を確認し、ようやくレイヴンはラスティに向き直る。
「けれど君は、そんな人間に感情の種を撒いてくれていた。ザイレムでは『私こそ君に恥じない戦いをしたい』という友愛の断片を手に入れ、集中治療室で安息を得られた後は君に感謝の念すら抱けたというのに」
 そうだ、ラスティが戦友と呼んだ者が手に入れた感情はそこまでだ。「戦友」の人格の維持を諦めた私が出来るのは、遺志を伝え、残された者の悼みに寄り添うことだ。なのにレイヴンの方がその場に崩れ落ちてしまう。とっさに掴んだスティールヘイズの爪先から手を離す事が出来なかった。
「……なのに私は、そんな君の戦友を殺して、しまつ、たん、だ……」
 レイヴンの目に見えるものは崩れ落ちた自分の膝。それが滲んで……溢れ出る涙を拭うためにレイヴンはやむなく眼鏡を、エアと外界との繋がりを外す。すまないエア。脳電波操作式アイウェアの装着で「ACに繋がっていない時でも貴方の見ているものが見える」と喜んでいたというのに。

「……臓器の追加により脳の処理する情報が増えたところで、エアの為に戦うという意思が揺らがなければ、ACパーツとしての性能が下がらなければそれでいいと思っていた」
 崩れ落ちたレイヴンの肩にラスティは手を置いている。レイヴンが顔を覆う手を離せば心配そうに……否、今のレイヴンがラスティにそのような表情を期待する道理はないが、とにかくラスティは無言でレイヴンの顔を覗き込んでいる。その気配を感じながらも負の感情の表現という非礼を犯した以上、レイヴンはラスティの顔をまともに見られなかった。
「君と相対したレイヴンはこれに『ウォルターの死に対し、痛みが覚えられれば良い』と願うだけの、私からすれば無欲な存在だった」
 そんな静謐な存在が、内受容感覚を処理するための脳神経ネットワークが再構築の間は、情動制御の不安定となり自傷行為を行うこともあった。見舞客も人心掌握術からこのような患者の対応を知る……そう、脳障害を負わされた者の治療を以て引き込みを行った事があるフラットウェルかオキーフに制限されていた。
 彼らに与えられたものは助言か、あるいは精神的に不安定な者が抱く欲求を肯定することで信頼感を得ようとする工作か。とにかくレイヴンはある時に自傷行為の遠因である人格の維持を諦め、目的を維持しつつ再構築された脳ネットワークへの負荷が最小限となる形に思想を矯正した。自身の人間的な欲望を許した。それに伴う生命維持には不要な手術すらも。
「なのに何時からか『君と食事に行きたい』『恋が出来るようになりたい』等と、存在しえないし目的にも関係ない欲望が芽生えて、再手術がその欲望を満たす手段になって、君の戦友の『痛みを覚えたい』というささやかな願いを押しつぶしていった」
 押しつぶした者の痛みを思い、レイヴンは唇を噛む。どれだけ強く噛んでも痛みを覚えさせない唇を。その欺瞞がレイヴンにある真実を突きつける。ラスティの対面を今まで引き伸ばしていたのは、死亡通知を行う者として精神の安定を待っていたからではない。ただ責められるのが怖かったからだと。
「そして私は『痛みを覚える』という願いすら叶える事は出来なかった。感情の細分化が可能となった心でウォルターへの思いを何度も掘り下げても、いつも最奥にあるのは感謝だった」
 ありがとう、廃棄処分寸前だった私を救ってくれて。ありがとう、私に人間らしい心の下地を作ってくれて。ありがとう、一人でも生きていける力をくれて。ありがとう、友達や友達になりたい人がいるルビコンに連れてきてくれて。ありがとう、いつも見守っていてくれて。ありがとう、貴方に反抗が出来るよう育ててくれて。ありがとう、親離れまで含めてどこまでも私の父でいてくれて。本当に、最高の父さんでいてくれてありがとう。どうして罪悪感や寂しさを掘り下げた最後に辿り着くのは、こんな身勝手な、こんな暖かな感情なんだ。私が欲しかったのはこんな感情ではなかったはずなのに。

「レイヴン、私の知る戦友が死んだというのは、きっと真実なのだろう」
 ラスティが受けた第8世代強化人間の施術ですら、意識の鮮明度が別物になり、座学を含めた様々な学習効率が上昇し、初めて乗るACが自分の体のように動かせる……「生まれ変わり」としか言えない体験だったのだ。その衝撃を知る以上、レイヴンが再手術に対し生死のイメージを抱くことをどうして否定できようか。
「ただ、どうかその事を気に病まないでくれ。今の君自身の幸せを求める気持ちを否定しないでくれ」
 ラスティ自身も手術により「共感性が低下し、殺人に対する自責や罪悪感が薄れた」という人格変容を自覚している。それでも他者に嘗ての人格を望まれた時に抱くのは寂しさと、それからくる反発心だろう。だから、今の自分を受け入れてくれている者たちに感謝しているというのに、レイヴンは嘗ての自分を思う者を慮るばかりで、そのような想いに気づけないというのはあまりに悲しい。思わずレイヴンの肩を掴む手に力が入ってしまう。
「君をまた戦友と呼びたいんだ、だから」
「分かった、分かったからラスティ」
 口調を整える事もせずラスティの言葉を制止したレイヴン。ようやく涙を拭う事を止めて見たラスティの表情には軽蔑ではなく思い遣りがあったが、やはり居たたまれず……あるいは「友人」への甘えの気持ちだろうか、もう少しだけ俯いて、みっともなく涙を流す事にする。掴んでいる事を許しているスティールヘイズの爪先にも感謝しながら。
「ただ、もう少しだけ……死んでしまった私の弔い上げだけはさせてくれ」
 他者の死は「痛みもなく」その意味を考えるために反芻するものなのに、自身の死はこんなに悲しく、忘れるべきもなのか。自身の中の非対称性にもレイヴンは涙を流す。
 レイヴンはそれに痛みを感じることは出来なかったが、自分の肩に食い込んでいたラスティ指先の力が抜ける。優しく肩に手を置くだけになる。
「変わるのは怖いし、辛いんだ」
 小声で漏れた弱音を、ラスティは聞き逃さなかった。


 ラスティに案内してもらった洗面所で、レイヴンは泣き腫らした顔を洗う。
 暫くは陰鬱な気持ちが抜けなかったが、表皮に水が当たる感覚に集中すると相当なカタルシスが齎される。感情制御手法にこの行為も取り込むべきだな。冷えていく頭でレイヴンは思う。そしてこのように感情を顕にするのは最後にすべきだとも。視界の右下に映る心拍数インジケータから精神の鎮静化は確認できたものの、羞恥は拭えない。
 一頻り涙を洗い流し、皮膚を傷つけないよう丁寧にタオルを顔に押し当てた後、ようやくアイウェアと脳を、その中に流れるコーラルの波形を接続する。エアが鏡を通してみたレイヴンの顔は、レイヴンからすれば充血が見られ、腫れぼったさも残る酷いものだったが、エアには安堵を覚えさせるものであった。
 鉄面皮とも言える表情のレイヴンからタオルを受け取ったラスティは、光量こそ高いが、格納庫とは違い照明の量はごく僅かな……一歩外に踏み出せば闇に満ちたこの場所でレイヴンに問いかける。
「戦友……答えなくても構わないが、再教育センターで君を貶めた解放戦線の捕虜についてはどう考えている」

「そうだな、彼らが受けていたのは残虐行為を行うことで罪悪感を抱かせ、正当性を感じていた組織への帰投意思を奪うという精神的外傷を顧みない……酷い洗脳手段だ。エゴから言わせてもらえば再手術の前に彼らの解放が出来たのは良かったと思っているよ。臓器再建で不安定な精神にとって、彼らを案じるというストレスは無い方がよいからな」
 彼らはいずれ精神障害を発症するかもしれないが、専門家ではない私の関与するところではない。独立傭兵としての見解はこのような所だ。そう言ったところで口元に手を当て、独立傭兵としての見解ではなく一個人としての共感も示すべきだったかとレイヴンは考える。
 だが再教育センターにおいて、医師が同席する形で行われたレイヴンへの行為は、痛覚が無いからと言って精神的外傷が回避できるものではない。現にレイヴンが口元に当てている手の甲には、光量の低いところでは確認しづらいものの、所々に火傷の痕が白く浮いている。衣類で覆われた箇所に至っては熱傷のみならず唾を始めとした体液をかけられ、再手術の一環で色素除去はされたあろうが、辱めの言葉が表皮に刻まれる様も見せつけられ……。
 ラスティが唯一レイヴンに懸念していたのはそれだ。感情を取り戻す事で、今度こそルビコニアンへの憎しみが芽生えるのではないかと。それで「友人」になりたいと思った人に避けられるのが寂しいと。
 だが、辛さを覚え、訴える事が出来るようになった君がそう言うのなら。今でも他者に与えられた痛みを、痛みとして認識できないというのなら。
「そうか、戦友。君はやはり優しい人だ」
 尊敬しているよ。ラスティのその言葉に一瞬目を見開くものの、依頼に忙殺される独立傭兵としては過去の救出対象を気に掛ける時点で優しいと判断されるものかと自己完結したレイヴンを見て、ラスティは愛想を整える。レイヴンのアイウェアから別の視線が届く。「ありがとうラスティ、分かってくれて。そしてレイヴンも」そんな女性の声が聞こえた気がした。

 ラスティは自分がエアの言葉を代読する前に肩を竦めたような気がしたが、単に自分の視覚の処理が遅れただけだろう。その思考を自覚したとたん、戦闘モードでは許容できない知覚のずれを通常モードとはいえ許容できてしまったことに、改めてレイヴンは自身の変容を感じ取る。だが不思議と恐怖は感じない。
「行こう戦友。案内したい場所がある」
 後ろ手に廊下の照明を点けてラスティが呼びかける。レイヴンは差し伸べられた手を強く握り、握手を交わした。
「ああ、改めて宜しく。戦友」